Chihiro Yamazaki

ドラキュラ (二次会)
Dracula (after party)

2019
Photograph
Installation

10 月のハロウィーン直前の週末に東京都渋谷区宇田川町のセンター街で軽トラックが横転させられた事件で、警視庁捜査 1 課は 5 日、暴力行為等処罰法違反(集団的器物損壊)容疑で、東京や神奈川、山梨に住む 20 代の男四人を逮捕した。同課は 事件に関与した 15 人を特定、4 人は特に悪質な行為があったとしている。フランスやイギリス、ベルギー人を含む 10 ~ 30 代の 11 人については任意で事情を聴いており、同容疑で書類送検する方針。
産経新聞,2018 年 12 月 5 日 (最終閲覧日:2019 年 6 月 10 日)

何かにつけてスクランブル交差点 ・ センター街へ集まるのは日本人に限らない。渋谷の訪日観光客数はその過半数が集合す る東京で新宿、銀座、浅草に次いで 4 番目に多く、国内観光者も含め局所的に言えばスクランブル交差点は日本で一番よそ者が 集まる場所であろう。常時人口過密状態であるこの交差点で年に一度のイベントなど発生しようものなら群は享楽を極め、 自他 共に制御不能、窃盗 ・ 痴漢が横行し、果てに上記のような事態に陥ることも驚くに値しない。只々奇怪なだけである。この気味が 悪い連中をしかし「変態仮装行列」などと一蹴する気になれないのは、わたしだって、と思うからである。わたしにはあの有象無象 が何者かになりたい、 が、 何者にもなれない人々のなれ果てに見えて仕方がないのだ。震災を経た現代にて我々が患った、 誰も 当事者になれないという病がこの身を蝕んでいく。わたしは奇怪である。
渋谷をかく必要がある。渋谷の営みを詳細に風刺しなければならない。変わっている、 奇妙であるという言葉を使って対象を表 さざるを得ない時、 そのように見る側のシステムもまた不完全であるということが図らずも露呈していく。その存在が何者であるか 正確に描くという曖昧さ回避でしか、わたしたちが何者であるかを明らかにできないのだ。少なからず、『ドラキュラ』で登場人物ら はそのようにしてドラキュラと対峙した。
Bram Stoker『ドラキュラ』とは 1897 年、 帝国主義時代に英国で書かれた恐怖小説である。他の吸血鬼伝説と大きく異なるのは 登場人物を西の光(主人公ら)と東の闇(ドラキュラ)と対比させ、 比喩的に帝国主義によって支配している側から見た被支配者の 叛逆が描かれている点にある。物語ではドラキュラの奇怪さは strange, stranger であること、つまり異邦人である事で規定され るわけだが、異邦人が場所に従属する存在である以上誰にでもなり得るものであるし、主人公らは夢遊病や精神病に病んでお り、ドラキュラと同様に狂っていた。ではなぜ奇怪であると問題にすることが一方に許され、他方に許されないのか。それはこの『ド ラキュラ』という小説を書いたのは主人公ら本人だからである。というのもこの小説は主人公らが書いた日記、書記、手紙、新聞記 事などの寄せ集めで構成されており、その中で彼らは「書かねばならない」というある種強迫観念的な執着をもって物語を記録し ている。彼らは狂いながらも言葉にすがる。言葉を書き記すという事はドラキュラが奇怪であり、 彼らが理性的であることの唯一 の証なのだ。
わたしは渋谷をかく必要がある。と、何度でもかく。集まるためだけに集まる渋谷の群衆が、出会うためだけに出会うわたしたちそ のものが strange で stranger である事を。その機微を。いつまでも当事者になれない、 リアルをかけない我々がすべきことは、 やはりかくことなのである。

(テクストを厳密にかく以上、 小説『ドラキュラ』が世に生み出されたその後に第二次世界大戦によってヒューマニズム、 理性主義 が失墜したという事実も、ここにかかねばならない)